キャッチボール

コミュニケーションはボール(メッセージ)をやりとりするという意味でキャッチボールにたとえられます。

コミュニケーションはキャッチボールですから、行って返って完了です。受け取ったボールをメッセージの投げ手に返すのが基本です。

事務的なことであっても重要なことの場合は復唱するはずです。「この葉書出しておいてね」に対して通常は「わかった」と答えますが、誤解の余地がないから「この葉書を出すことをわかった」という代わりに、「わかった」といっているわけです。

関係が混乱しているようなとき、メッセージが正確に伝わりにくくなります。そのときも復唱することが大切です。それは特に感情が前面にのったメッセージが投げられたときに大切です。

たとえば、妻から「(泣きながら)お義母さんに叱られちゃったの」といわれたとき、「そうか」では意味(事実関係)は理解したかもしれませんが、そのメッセージの前面にのっている気持ちはおそらく理解していません。理解しているかもしれませんが、妻から見て自分の気持ちが理解されたとわかる方法がありません。

ですからこのときは、たとえば「頑張っているのにわかってもらえなくて悲しいよね」と、自分が理解した妻の感情をフィードバックする必要があります。それが正しければ、妻は自分の気持ちが理解されたと感じるでしょうし、間違っていれば訂正するはずです。
そのプロセスを通じて相手と気持ちがつながっていることを実感できるようになります。

主語に注意

以上の基本を守れているかどうかを簡単にチェックする方法があります。

自分がボールを投げるときの主語は「私は」、返すときの主語は「あなたは」になるということです。これが逆になっていたら、うまくいかないコミュニケーションになっている可能性が多分にあります。

一時一事

キャッチボールですから、一度に複数のボールを投げたら受け手が両方とも取り損なってしまいます。相手のピッチを考えずに次々と連投してもやはりうまくいきません。

言いたいことが沢山あるにしても、一度に投げられるボールは一つです。一度のコミュニケーション、一日のコミュニケーションですべてのことを伝えるのは不可能です。伝えたいことが山のようにあって、今伝えたいことを一言にまとめられないとしたら、話し手自身も自分で言いたいことがわかっていないのかも知れません。

このことはお金の使い方と重ね合わせることができます。世の中に欲しいものは沢山あるかもしれませんが、どのくらいの期間でどのくらい欲しいのかはそこそこ整理できているはずです。貯金が全然ないのに明日億ションを欲しいといっても不可能ですが、その人にもいまの渇きを癒すためにジュースを買うことはできるでしょう。

コミュニケーションにしても、それをどのくらいのスパンで伝えたいのか、それを伝えるのにどのくらいの時間がかかるのか、いま現実的に優先すべきことはなんなのかがきちんと整理されていないと、なにも実現することができません。

また、自分が投げられたボールにムッとしたとしても、そのボールを投げ返したらコミュニケーションが完結しません。一回完結させてから、新たに自分がムッとしたというボールを投げる必要があります。

メッセージの二面性

個人的なメッセージの多くは「意味内容(情報)」と「感情」の二つの側面がのっています。そのメッセージが「発信者にとって」重要なものであればあるほどそうです。

たとえば、「A君が課長になったよ」というのは情報ですが、そこには自分ではなくてA君が課長に抜擢された不満や悲しみといった感情がのっていると容易に想像できます。

「今日は大変だったのよ・・・(延々事情説明)」と妻が言うのは事実を知らせたいのではなくて、「大変だった一日をねぎらって」というメッセージかもしれません。

受け取ったボールのどちらの側面を主に受けて反応するかは非常に重要です。「A君が課長になったよ」に対して、「じゃあ前の課長のBさんはどうなられたの?」は情報に反応したことになりますし、「あなたが先に課長になるはずだと思っていたのに残念ね」は感情に反応しています。

要求と気持ちの峻別

上記二面性との関係で、要求と気持ちを峻別することは非常に重要です。それらが峻別できないと相手の気持ちを理解することは不可能になってしまいます。

気持ちを受け入れると、要求を受け入れることになってしまうと感じる人も少なくありませんが、それは別のことです。要求にはNO、気持ちは理解するという状態は当然に存在し得ます。