夫婦に共感は必要です

夫婦のコミュニケーションで、共感はなくてはならないものです。しかし現実には、共感というものをできる人はほとんどいません(そういう方がクライアント様としておいでになるからかもしれませんが、世の中の会話やドラマの会話を見ていても共感がなされている場面は限りなく0に近いです)。

企業がいう「共感」は、残念ながらここでいう「共感」ではありません。

たとえば、ある商品に共感を得る、というときの共感は、ある商品が支持を得ると言い換えることができます。つまり、消費者行動(または消費者の思考)のことを言っています。

夫婦に大事だという共感は、情緒的な共鳴のことです。

誤解される「共感」

共感とは、「相手の立場になればそう感じるのはわかること 」、と多くの本に書かれています。確かにそう説明することもできるのですが、残念ながら多くの場合、この説明は誤解を生むようです。 これは企業の例と同じように、「相手の状況の分析(=思考的理解)」を共感と勘違いしやすい説明です。

共感というものの基本的な前提として、自分が相手と同じように感じる(同感)というのは基本的には不可能なことです*1。 相手がある状況で怒りを感じたとしても、自分がその話を聞いて同じ怒りの気持ちを感じるとは限りません。それにそもそも相手は自分の実体験であるのに対して、聞いた人は伝聞体験ですから、そもそも感情のもとになる体験が異なります。 またたとえ同じように感じたとしても、それをお互いが認識する方法はありません。

よく「その気持ちわかる~」という発言を聞きますが、どこをどうわかっているのか、まったくわかりません。「自分も同じ気持ちだ」という発言も同じです*2

もっと高等な技は、「(君の気持は)わかっているけど、どう表現していいかわからない」です。

同感と共感

同感しないと相手のことをわかったことにならないと感じている人が少なくありませんが、それは基本的に不可能なことです 。しかし、まじめな人はできない自分に罪悪感を感じる原因などにもなってしまいます。

逆に、「同感して欲しい」と要求する人もいますが、このタイプの人は本当に共感された経験がないのか、自分と他人は異なる存在だという事実を心理的に受け入れていない(精神的に自立していない)可能性が考えられます。

「どうせ他人にわかってもらうことなんかできっこない」というニヒリズムも、このタイプの亜形です。

共感とは

共感とは、本質的に同じ情緒的体験を、いま・ここで共有することです。過去の事柄についての意見や見解を同じくすることではなく、「いま・ここ」でかかわりあう人たちが、本質的に相似形の情緒的体験をし、それが相手にも相似形であるということをわかっている状態です。

もう少しわかりやすくいえば、自分が「わかってもらえた」と感じる体験です。

つまり、共感は「わかること」ではありません。相手が「わかってもらえた」と感じる体験です。

どうしたら共感できるか

情動対称性アプローチの項をごらんください。

*1:哲学的な話になりますが、私が見ている赤信号の赤色と、ほかの人が見ている赤信号の赤色は、物理学的には同じ色(波長のスペクトラム)ですが、同じ「体験」である保証はどこにもありません

*2:同じ刺激を受けても、*1で述べたように同じ体験である保証などないのに、実体験と伝聞体験という違う体験から、同じ体験だと決めつけてしまえる素朴さは、 関係がよい間は「よくわかってくれる優しい人」というイメージが形成され、いったん歯車が逆転した後は、「自分の思い込みで話を聞く(要するに相手の話を聞かない)人 」というイメージになりやすいと思われます